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兄ジュリアスからヒューストンの興行権を譲り受けたモリス・シーゲルは、ナショナル・レスリング・アソシエーションの協力を受け、第二次世界大戦中も、ルー・テーズやボビー・マナゴフ、ビル・ロンソンといった強豪を招き、ほぼ毎回数千人を動員。戦後、ナショナル・レスリング・アライアンスにも加盟、ダラスのエド・マクレモア、アマリロのカール・サーポリスらと提携し、テキサス州プロレス界を牛耳った。
だが、1966年には、マクレモアと協力したジャック・アドキッソン(フリッツ・フォン・エリック)との興行戦争が始まり、健康状態にも陰りが見え、同年他界。遺族はヒューストンの興行権をポール・ボッシュに譲渡した。後に、ボッシュはアドキッソンと提携。
1980年代に入ると、アドキッソンは『ワールドクラス・チャンピオンシップ・レスリング』の名で、テレビ中継も一身。自らの息子達をトップスターに仕立て上げ、テレビ収録にも、当時では画期的な技術を用いて、テキサス以外の地区でも人気を集めた。
だが、大きなプレッシャーや私生活での乱れが、息子達他トップレスラー達の病死や事故、自殺を招き、1988年には、メンフィスのジェリー・ジャレットが買収。
1991年には、ジャレットもダラスから撤退。その後グローバル・レスリング・フェデレーション(GWF)が毎週ダラスでプロモートし同地区でのテレビ放送も続けるが94年9月閉鎖。翌月、元NWA会長ジム・クロケット・ジュニアが再びNWAとして毎週興行を始めるが、約半年で閉鎖。
1935年からダラスのプロレス会場として使用されてきたスポータトリアムも、1990年代後半からは使われなくなり、2001年の火災で大部分が破損、2003年に解体され、その歴史を閉じた。 |
テキサス州選手権
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